事実と理解。
物事の捉え方は人それぞれ。
例えば、ガラスが割れたとしたら。
ある人は「怪我はない?」
ある人は「全部割れた?」
ある人は「もったいない」
ある人は「なにやってんだ!」
ある人は「ガラスはいつか壊れる物だ」
ある人は「また買えばいい」
ある人は「たいしたことはない」
ある人は「何でわっちゃったのだろう」
ある人は「(涙)」
ガラスが割れたことで人は想いを抱く。
人の数だけ想いは違う。
数えきれないほどの違いがあるが、
同じ想いの人が多いほど、それは真実とされる。
されど真実ではない。
ガラスが割れたということだけが事実である。
ガラスが割れたことへのその人の理解に真実などないのだ。