わたしが七歳の時、まだ家族が東京の暮らしに間もない頃
父、母と二つ上の姉四人で母のお母さんの弟が住む高尾へ行った。
その高尾の叔父は歯科技工士らしく綺麗に並んだ真っ白な歯を満面な笑顔と一緒に迎えてくれた。
「高尾山が見えるんだぞ」と一度表に出され、皆でへぇなどと見上げたのだが
わたしは随分遠くに来たけれど帰れるのかなと不安になった。
幾度も叔父とは会ったことが無いであろう父は何故かとてもリラックスしており
とても愉しそうにお酒が進んでいた。
ではそろそろ、とおいとますることになり、どうやって駅に向かったか記憶が無いが
私たち家族四人は駅のホームに居た。
真っ黒な石炭を積んだ汽車と丸いタンクの汽車がホームに着いていた。
何時だったのだろう、ホームには誰もいなかった。
横を見ると不機嫌な顔をした姉が座り込んでおり
母は酔って石炭を積んだ汽車によじ登ろうとしている父を必死で止めていた。
わたしは不思議なことにこの風景をホームより高い、斜め上から3人を見ている記憶がある。
よじ登った父を母が降ろすと今度は父はベンチに寝転んでいた。
「あなた〜」と泣きそうな母の声。
わたしは汽車によじ登った父の姿が可笑しくて、父にこんな一面もあるのかと面白く感じた。
その後の記憶は残念ながら無い。
「面白いなぁ」という父の知らない一面を見たことの嬉しさで終わっている。
その後、どうやって帰ったかを聞いたか聞かないかの記憶も無かったのだが
昨年末、実家に帰省した際に母にこの話しを持ち出したところ「あの時は参ったわぁ。最終列車があの汽車だったのよ」
そう、父がよじ登った石炭を運んでいた汽車が最終列車だったのだ。
わたしはあの夜の汽車に乗って旅が始まった気がしている。