老齢の親が住む実家へ着物の整理に訪れた。
80歳近い母と50歳過ぎた私の二人でマスクをしながら和ダンスや桐ダンス3本の引き出しを引きながら
中身を確認しては「これは50歳す過ぎても着れる柄?」
「もうこの柄では全く着れないね」
袖も通していない、仕付糸もついたままの着物たち。
その柄を着ても許される年頃は私は暴れ馬に乗って着物に縁がなかったことに胸がチクリとした。
「最低片手の値段はする着物なのに、こんなに眠らせていたこと、パパさんに言えないね」
母は俯きながら呟く。
あれこれ引き出しているととても小さな、古びた和紙に包まれた着物が出来てきた。
それは写真でしか見たことのなかった私の七五三の時に着た着物で、
胸元にシミがついていたが足袋から一式揃っていた。
「わぁ小さな着物」と50年も眠っていた着物を覗き込んでいると
これは昨年100歳で亡くなったおばあちゃんがちくちく縫ってくれたものだと母がいった。
着れるもの、手放すものと着物を選り分けに実家に来たが、目の前の小さな着物の縫い目を見ていると
涙がこぼれそうになってしまった。
おばあちゃん、どんな思いで縫ってくれたのだろう。
そして母はわたしの思いに被すように言った。
「この着物、母を思うと手放せなかった」
私もこの先、手放せないだろう。