ぶつぶつぶろぐ


『お忘れ物』

旅先で、慣れぬコインランドリーを利用する。

下着や靴下などの少ない洗濯量なので、一番小さなドアの機械に入れてみる。

機械には洗濯時間の記載がない。

お金を入れる直前にそれは乾燥のみの機械とわかり、

慌てて洗濯物を取り出す。

気を取り直し、洗濯&乾燥と記載の機械を見つける。

洗濯物を再び投入。

洗剤・柔軟剤は不要と確認。

お金を入れ、さて、帰ろうと振り向くと床に何か落ちている。

拾い上げると見慣れた靴下片方。

すでに洗濯物をいれた機械は回り始めている。

ホテルに持ち帰り、その片方を手で洗う。

忘れ物を見つけてよかった。



『心の遊び』

粋な遊び心のあるものを日々の暮らしの中で1日に何度見かけるだろう。

粋なものはあれば愉快で、無くても弊害のないものだ。

粋な遊びを作る人がいると、

よし!わたしも頑張るぞ!となる。

そんな私って何だろう。

深い部分でもっと遊びたいと言っている。

体の細胞がざわざわとするする瞬間をもっと体感したい、と人はどこかで願っているのではないだろうか。



『磁器食器』

磁器の食器に興味を持つきっかけとなったのが、24歳の時にフランス製の食器屋さんでのアルバイトをしたこと。

フランス製ベルナルドの食器。

つるっとした肌と繊細な薄さ、手を掛ければ喜ぶ輝き。

絵付けしている人を想像しているうちに、自分でも絵付けをしたくなったのがkaolinecupの始りになった。

33年を経て、初めてフランスのベルナルドのアトリエを見学できるのは何よりの興奮。

来週、それが実現できる。

人生は不思議、そして、繋がっている。



『祖母の形見』

子供の頃に祖父母と同居した時から、この手作りの布製の鞠と魚が入ったガラスの飾り物が気になっていた。

職人が作ったと思われる緻密さと美しさに子供ながら感動していると祖母は自分が作ったと言う。

お婆ちゃんが!

それまでは家にいて祖父の世話とデパートへ行くのを趣味としているお婆ちゃんだったのに、急に凄い人になった。

祖母にも私の知らない若い時分がたくさんあり、そしてまた、

私以外の人々にもぞれぞれ生きてきた道のりがあることを感じるようになった。

手で作るものにはこういった何かを伝える、感じさせる力が宿っているように思えてならない。



『父との時間』

訳あって2泊3日、実家で父と2人+老犬1匹と過ごしている。

90歳の父は老齢の自分にイライラしていることが増えたが、

昼までは比較的に気分が良さそう。

居間のテーブルでパソコン作業をしていると、父も近くに腰掛け、懐かしそうに自分の銀行時代の話をし始める。

銀行員時代、どういう働きぶりで、そう人に言われていたか、

義を通して終わったこと、上司、人間関係を交えながら嬉しそうに話す。

私はうんうんと頷きながらキーボードを叩く。

半分は聞いているので誤字を打ちつつ、頷きつつ。

頷いていると「いつかあの時、きちんと目を見て話を聞いてあげればよかったという日が来るぞ」と心の声が聞こえた。

慌てて顔を上げて父を見る。

するとやはり嬉しそうに父がいっそう力を込めて話を続ける。

頑張って仕事をしてきたことがひしひしと感じる。

子供としてはそのことは感謝につきる。



『秘密の』

初めて磁器のカップを壊した時、

心臓がちりりと痛んで、元に戻らないものの存在を手の中に嘆いた。

当時、テレビのアニメで「秘密のあっこちゃん」というのがあったのだが、割れた手鏡を土に埋めたら元に戻ったというのをやっていた。

これだ!と私も庭の土を堀り、割れた磁器のカップを埋めてみた。

数日経ち、そろそろ元に戻っているかと土を掘り出すが無い。

カップが居なくなっている。

あれれ、れれれれと掘り進めるが姿はない。

元に戻るのを飛び越えて土に還ってしまったのだ、と

そう思うようにしている。



『神様の誕生』

どうしてこの世に自分がいて、自分ではない人がいるのだろう。

その自分てなんだろう。

自分でない人ってなんだろう。

自分ってどうやってできているんだろう。

自分の親や家族、どうしてここに生まれたのだろう。

自分はどういきていけばいいんだろう。

小学生のころからそれが頭にあって、ずっとあって、

目に見えない世界ってなんだろう。

神様ってなんだろうと思った瞬間、神様が誕生した。



『旅のような日々』

生まれて3年たったころ、初めて引っ越しという経験をした。

そこは知っている人は一人もなく、

知っている町並みももちろんない。

見るもの、知るもの、経験が、生まれたてのごとく真っ新だ。

愉しいというより、どうなっているのだろうと疑問が浮かぶ日々。

昨日は今日と違い、明日という未知の日を思うと、手にある宝箱が無性に愛おしく思っていた。